お知らせ

中世史部会『吾妻鏡』12月例会報告

2023年12月3日(日)、『吾妻鏡』12月例会を本部にて行ないました。『吾妻鏡』承元3年条を始め『百錬抄』等の関連史料含めて討議を行ないました。以下、討論概要を記します。
2月10日条 武蔵国の鷲宮神社鳴動す。建久4年11月18日宝前に血が流れ、以後秀郷流大田氏族の大田小次郎行朝が失脚したが、今回は如何や、建永2年の開発トラブルとの関係は。
4月22日条 源実朝従3位に昇叙。実朝に政所開設可能に。6月に従来の将軍家下文が発給されおり、何時政所吉書始がなされたのか、また記載がないのか。北条義時は弟時房が政所別当として署判しているのに、遅れて署判したのか。
5月12日条 和田義盛の上総介所望と尼御台政子の意志としての拒否。義盛の要求根拠は。上総の実効支配に義盛関与。また北条氏への対抗と三浦一族の利益。拒否を政子の意志とする著述態度。
11月14日条 北条義時家人の准御家人へとの義時要請と実朝の拒否。義時は如何なる意図で要求したのか、また本気度は。北条氏の軍事的実力はまだまだ千葉・三浦・小山氏には及ばなかっただろうに。
12月20日条 近国守護の補任下文提出と千葉氏等の反発。東国の守護の任命が確認されるのは中期以降、かつ職能は国毎の慣例(本条の東国御家人にの主張から)。記載通りとしても文飾が目立つ。義時の意図は東国有力御家人の権勢削除だろうが、この強気は先の家人准御家人化と並びどこから来るのか。